パブリッククラウドの世界へ飛び込みます ~クラスメソッドにJOINした話~
皆様はじめまして。甲木 洋介(@yokatsuki)と申します。 本日2014年5月13日に、クラスメソッド株式会社にAWSエンジニアとして入社しました。 僭越ながら、この場を借りまして自己紹介致します。
最近の愛読書です(勉強中)
経歴
前職は日本オラクルでした。 入社して最初の2年は人事付きの社内トレーナー兼社内SE的な職務からのスタートで、次の西部支社では4年程プリセールスエンジニアとして、九州山口のユーザ様へパートナー企業様と一緒にシステム提案の技術支援をしたり、RFP/運用計画書の作成をお手伝いしたり、データベースのチューニング作業したり、システムトラブル対応したりと様々な経験をしました。本社主催の技術セミナーや、支社で独自に作ったORACLE MASTER対策セミナーで各県を講演しつつしっかり名物を堪能したのも懐かしい思い出です。 その後、外部研修部門であるオラクルユニバーシティから声が掛かり、それから約10年に渡り技術講師として数多くの企業様のプロジェクトや新卒研修に絡んだ技術講習の開発、提案、実施に携わってきました。 (この頃、業界人お約束の轆轤回しもしっかりやっていました…。) 振り返って数えてみると、16年以上一社に在籍していたことになり、IT業界としてはとんでもなく永い間お世話になっていました。
本業以外の活動
直近の技術講師時代は、あまり外部要因で振り回されることがなかったので、本業の他に同僚とDB Magazineに連載記事を書いて書籍化されたり、大学で講演をしたりと、様々な活動にチャレンジさせてもらいました。
その中でも特に力を入れたのが、技術者のコミュニティ支援活動でした。 そもそも本業が人材育成を謳いつつその内容がオラクル製品を扱う技術者にかなり限定されるのは、商売上仕方ないよねと思いつつも、IT業界全体に対して貢献しているとはちょっと言い難いなぁ、ともやもやしていました。もっと広く技術者が幸せになれるような活動ができないものかと。丁度その頃、日本オラクルの本社ビルが2008年に外苑前に完成し、フロア構造と設備がITの勉強会を実施するのにこれ以上ない条件を備えていました。 私は「外苑前をIT人材交流の場にする」を最終目標として、オラクルとは直接関係ない内容でも、技術者が交流し、そこで新しい価値が生まれる事を期待して、様々な勉強会の運営に携わることにしました。
その頃勉強会に対する熱量も盛り上がっていて、「勉強会は実施したいが会場がない」というニーズがあったお陰で、元祖LTオンリーイベントのGLT(Genesis Lightinig Talks)から始まり、大規模で複数回実施したものだけでも、Python Developers Festa、MySQL Casual Talks、Hanger Flight等のDevLOVE勉強会、Agile Samurai Dojo GatheringにSCMBootCamp、最後はCreators Meetupまで、本当に沢山の勉強会を実施することができました。
写真は第7回Creators Meetupで浴衣姿でLive Developmentやっているところです(動画はこちら)
結果として、当時あまりなかった「大手IT企業が勉強会に協力する」モデルの先駆けとして、勉強会の発展に微力ながら貢献できたのではないかと思っています。 (ついでにオラクルの「悪の帝国」のイメージが払拭できればなお良かったのですが…)
転機
私はもうこのままオラクルと共に会社員人生を終えるつもりでいたのですが、ここ数年の業界の変化を感じていました。クラウドのようなオラクルが注力していない技術、製品がオラクルの領域である堅めの業務システムにも使われはじめる一方で、オラクルはサン・マイクロシステムズとの合併でOS、ハードウェアを入手し、従来のミドルウェアとの組み合わせでアプライアンスとしての性質を強めている…。
私がオラクルに入社した1990年代終盤、オラクルの会長、ラリー・エリソンはNC(ネットワークコンピュータ)なるコンセプトを打ち出していました。参照
データはクライアントに持たせない。だからクライアントは販売価格500ドル程度のもので十分
結果的にはこのコンセプトを実現するはオラクルではなく、GoogleやApple等が提供することになる各種サービスやスマートフォン、ネットブック、タブレット等になるのですが、もう一つのコンセプト、
データはネットワークの向こう側のサーバに持たせる
に対してオラクルは、今のところExaシリーズをメインに据え、プライベートクラウド中心に考えている様に見えます。しかし私はパブリッククラウドが正解ではないのか?もはやサーバがネットワークの向こう側にあるのは当たり前で、管理はハードウェアとして直接ではなく、プログラマブルに操作する方がより適切な(というと語弊があるかもですが)未来なのでは、と今は思っています。
とは言え、約10年間技術講師を続けていたので、外から見た時に新しい技術にチャレンジさせて貰える環境は果たしてあるのだろうか、という不安があったりで、なかなか先に進む決断ができずにいました。 そんな折、勉強会を通じて繋がりがあったクラスメソッドの中の人から、ウチに来ませんか?と声が掛かってきまして…。
面接に入る前に横田社長とランチの機会があり、色々と抱えている不安を聞いて頂きました。その際に、職場はAWSがバリバリに詳しい前提は必須ではなく、技術研鑽できる環境であること、講師としてのキャリアを引き続き活かす職務があること、ふるさと勤務制度があるので、いざという時は、地元である福岡での勤務も可能なこと、等を提案頂きました。 ちなみにこの話をした後日、(個人的には)結構ハードコアな実技試験があったのですが、結果として合格を頂けたのでなんとかなりそうだとは思っています。
これから
AWSコンサルティング部の一員として、AWS導入のプリセールス、実装が中心になりますが、トレーナー経験を活かした業務にも携われるかと思います。加えて従来の活動の延長で、コミュニティやイベント・セミナーの企画からスピーカーとして登壇などの活動にも幅広く関わることになりそうです。そのうち、JAWSと名が付くイベントで話している姿が見られるかも知れません?
最後に
情熱プログラマーに、「一番の下手くそでいよう」という言葉があります。 転職で一番の下手くそを経験された某先輩の話によると半年は苦しむそうですが、この年齢で一番の下手くそになれるチャンスを頂けたことに感謝しつつ、そのチャンスを自分自身で潰してしまわないよう精一杯頑張りたいと思います。